さんぷりんぐ

Mimの日記

6/30 やっと、前をむけてきた、かも

 14時から心理相談室で知能検査のフィードバック。先生曰く、納得のいく結果だったそう。色々話して出た結論は、私が、本質的なものや目に見えない共通点を見出すことが苦手な人間であるということだ。また具体物の情報処理能力も低く、なくしたものが全然見つけられないことも良くある。これは結構悲しかったけど、逆に言えば人と違うところに目を向けられるということでもあるって言われて、まあそういう創作物の方が好きだなとか思った。

対処法としては逐一自分の解釈があってるか確認するのがいいみたい。でもこれ割としんどいよな。

最近思うのは、恋愛ってロジカルだけで決まるなら世話ないよなってこと。ある状況に対してbetterな解を出して対処できるのがいわゆる優しい男性?みたいなことだと思うんだけど、それってやっぱりロマンチックではないと思う。bestな解を編み出すには多分そいつ自身のオリジナルな工夫が必要で、そこにロマンチックが生まれ、相手をときめかせるんじゃないか。

もしそうだとすれば、逐一了解を取ってくるやつってロマンチックじゃないよな。毎回毎回抱きしめてもいいかなんて聞くより、黙って抱きしめてくれる方がいいんじゃないだろうか。

 

 夜からは学科の課題をしようとして数時間くじけ続ける。公園で「CRAZY FOR YOUの季節」を聞きながら頭を切り替えようとして、なんだかんだ2時に。

 

 毎日の課題から離れて、時間をかけて(決してそんな余裕がある場面ではないのだが)考えると、これまで逃げてきた自分の問題に向き合うことが、少しだけできた気がする。

それは建築学生としての自分に向き合うということである。web上には建築学科を生き抜くためのノウハウをまとめたようなサイトがいくつかあるのだが、これらは建築学生(特に私のように友人の少ないもの)にとっては味方以外の何物でもない。にも関わらず、私は頭の中に建築学生の言葉が侵入してくることが耐えられず、飛ばし読みするか必要な情報のところだけを読むなどしていた。

しかし今日そうしたサイトを改めて見ると、そこには思っていたほど建築学科的なマッチョ思考は書かれておらず、自分の適性を見つけることが重要で、設計をしなければいけないと思い込むな、というようなことが書かれていた。

ちょっとだけ肯定された気がして安心したと同時に、もっと早く読んでたらなとか思ったけど、これも本質がみえないことの定めだと思ってあきらめた。割と折り合いつけるには便利な言い訳ができたかもな。

 

 課題に取り組むまでにも散々時間かかるのに、さらにそこから本質に向き合うのにも時間を要する。でも別によくない? 期限に間に合わせるために生きてるわけじゃないし。必ずとか絶対とか、そういう強い言葉を使っているやつには、その言葉遣いがちょっとずつ胸に刺さっていくやつもいるってことを知ってほしい。まあ無理だろうけど。

 

一映画一曲

リンダ リンダ リンダ

youtu.be

Base Ball Bear 「CRAZY FOR YOUの季節」

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