12/26 日々のメモ
- 221212の面談より
- 気付いたら落ち込んでいろいろかんがえる沼にはまってて、でもその考えること自体のまずさには、はまってるときには気付けない
- 色々考える(研究する)ことで忙しい
- 何やるにしても15分刻みで時間測ることを徹底した方がいいかも
- 15分ごとに水面(メタ的に高い位置)に上がってくるみたいな感じ
- 目の前のこと、今影響を与えられるものに集中すること
- 未来のこととか不安をぐるぐる考えても、今はどうすることもできないから
- 自分がほかの人よりも優れてるっていうことを定期的に確認しないとどんどんおちこんでいっちゃうかも
- 高校まではそれができてた すごいやつでいるっていうコーピングがうまくいってたのかな
- そういう授業がA群におおいのかな
- A群とか就活とかでそれを確認するとちょっと元気になれるんだけど、ずっと課題してるとどんどん自分を肯定できなくなっていく
- 比較しないと自分を肯定できないのって貧しいよなあ←これも自己否定
- 一気に色々思いつきすぎて、どんどんタブが開かれるみたいな感覚
- あっちもこっちもみなきゃ、でもともとの本筋わすれちゃう、みたいな
- こんがらがっちゃう
- いちいち書いて、ほどいていくしかないのか
- 俯瞰してみるのが好き そうしないとすっきりしないんだな メタ的な理解 過剰
- 人よりフローのレイヤーが多いから、時間かかったり疲れるのかも
- 生育環境で思い出したこと
- 金銭面とか、物欲がないのを前提で甘やかされてきた
- 一回指摘されてから、パンもやっすいのを極力選ぶようにしてきた
- 外食でも一番安いの
- 今物欲とか金銭管理の出来なさが爆発してる気がする
- なんでこんなに他人事みたいに責任感がないんだろう
- 無能そうなやつもいっぱいいるのに、作業はちゃんとしてきてるんだよなあ
- やっぱり人に頼るの苦手なんだな
- なんで?失望されたくない?
- よくわからん、全部ひとりで完結させたいと思っちゃう
- 慰められるのも、頑張りすぎとかまじめなんだよとか言われるのも、もう疲れた
- そんな言葉ひとつで直せたらとっくに直ってるよ
- なんか失望されたりガッカリされたりするのに疲れちゃった
- 自尊心?みたいなものがまいにちちょっとずつ折れていく感じ
- パスケースもみつからないし
- 時間が足りない、時間が欲しい ゆっくりさせて
- 日常とか生活が嫌いなのかも
- 彼女といるときもつかれているのかもしれない
- 日常に引き戻される?
- もっと抽象的なことだけ考えてたい
- 生活が嫌い?→俗っぽいものが嫌い?
- なんかもっとぼーっといろいろかんがえたいのに
- 雄弁な人って信用できないかも
- 結構鬱らしい
- 離人感、現実感のなさ
- 今無理したら、3ヶ月ぐらい使いものにならなくなるとか
- 本当は人の心配をしたことがないかもしれない
- 大丈夫?とか心配だなとか、みんな言ってるからとりあえず言ってるだけかもしれない
- つねに俯瞰で見てしまう
- 過剰なメタ認知?
- 完璧に落ち込むことも喜ぶこともできない
- ほんまにしんどい
- 今ストレス受けてるなって意識する、みたいな
- 代診の医者に強く当たるのも、わざととまではいわないけど、分からせてやろうみたいな気持ちはあったかも
- 全部ゴミ
- 自殺するほど「マジでやっている」
- 自殺は正当性を保証するものであり、その人物がどれだけ<マジでやっている>かを示す、もっとも確かなしるしだった。自殺は人生を、その日常的な窮地も、その軋轢も、その葛藤も、その幻滅も、未完成な仕事も、「空費と激情と熱意」も、そのすべてをふくめて、冷たい神話へと変える力をもっている。 (『わが人生の幽霊たち』)
- 多くの自殺者は何かをやり残したままだ。まるでテレビをつけっぱなしにしたまま買い物にでも出かるように、彼らはこの世界を後にする。マーク・フィッシャーも、イアン・カーティスも、妻子を残し、そして完遂すべき多くの仕事を残したまま死の道を選んだ。彼らは鬱に負けたのだろうか?おそらくそれは違う。鬱に対して<マジでやっている>ことを示すために死を選んだのだ。ただそれは逆説的に、後期資本主義という巨大な閉塞感による鬱が、人を死に追いやるほど<マジ>なものである証拠でもある。このようにして、資本主義のオルタナティブは神話の世界へ昇華されてしまった。ジル・ドゥルーズは自宅の窓から身を投げ出して死んでしまったが、我々がすべきなのは死せずして窓の外へ身を投げることである。落下し続ける我々を待ち受けるものは何か、それは『資本主義リアリズム』の締めくくりのように、どうにもならないと思われた状況からこそ、突然にあらゆることを再び可能にする何かである。
- 自殺するほどマジだってことを世界に表明する
- 自殺は正当性を保証するものであり、その人物がどれだけ<マジでやっている>かを示す、もっとも確かなしるしだった。自殺は人生を、その日常的な窮地も、その軋轢も、その葛藤も、その幻滅も、未完成な仕事も、「空費と激情と熱意」も、そのすべてをふくめて、冷たい神話へと変える力をもっている。 (『わが人生の幽霊たち』)
- この気持ちを創作に向けろ!!!!!!!!!!
- 死ぬならなんか創ってから、旅してから死のう
- ただで死んでやるもんか
- 創作って死なないためにあるんだな
- だから適当にできてるやつらが許せなかったのかも
- 創造性の裏返しとして鬱があるなら、案外悪くないかも
- 鬱であること自体を責める必要はない 感受性の裏返しだから
- それでも死んでいった芸術家たち、マークフィッシャーはどうして死んだんだろう
- そうはいってもひとりぼっちはしんどいよね
- 生きてていいって言ってください
- 夜がしんどい~
- 活動できずにただ時間が過ぎるのを待ってるみたいな感覚
- 自分のことの研究と大学の課題が、同じ重要度になってる
- 大学の課題を優先しようとか思えない
- やる気がないんじゃなくて時間がかかるだけなんだよ
- 自分で調べながらゆっくりやってくのが向いてるのかもな
- 自分のペース
- 人に聞くっていう発想が相当後にならないと出てこないのかも
- いきなり聞くか、めっちゃ後に聞くかの二択
- 没頭すること、フロー体験は気持ちいい
- でも課題をやるためには、定期的にメタに上がってくることを意識しないといけない
一曲
12/14 ただいま
あまりにもゆううつでここに戻ってきてしまった。ごめんなさい。
ゆううつって漢字で書いたら怖いけど、ひらがなだとかわいいかも
なんか年末年始寝る暇がないぐらいの課題の量があって、好きだった人からはブロックされて、ASDかとおもったら機能不全家族かもしれないらしくて、あたまがぱんくしている
たしかなのは、このしんどさに向き合わないといけないこと
しまってこ~ぜ なんて書いて頑張ろうとしている
楽しく生きていくやり方があったはずなんだけど、もうぜんぜんおもいだせなくて、退廃的な思考だけが巡っている
あしたがたのしければいいって、あんまりぜいたくなこといってないはずなんだけど
友達になりたい人もあんまりいなくて、どんづまりだ~
9/21 心療内科に行きました、金取られました、終わり
久しぶりに心療内科に行った。一時間ぐらい状況を話して、結局うつっていうよりは発達障害気味ではないかとか言われた。
被害妄想かもしれないけど、笑いながら「あんまりうつって感じしないですね」とか言われると、こいつこの程度で被害者ぶりやがって、みんなもっと頑張ってるんだよみたいな風に聞こえてしまう。
俺に言うなよ。別に自分でうつって言い張ってるわけじゃなくて、別の機関で診断されたからそれを伝えただけなんだけど。
発達障害だとしたら結局環境を変えるか自分を変えるかしかないらしい。それは理解できるけど、実際どうやったらいいの?「薬は効かないですよ」とか、そんな突き放さないで。
なんでみんな上から話してくるんだろう。教授にしても先生にしても、目の前にいる人間が自分より下で、こいつからの影響で自分が変わることは絶対ないって信じ切ってるように感じる。実際自分が同じ悩みで悩んでるならギリ分かるけど、なんでそんなに強く言い切れるんだ?たまたま問題なく生きれただけかもしれないのに。 もっと対等に対話がしたいよ。
最悪の日記。調子悪くなった時だけ書いちゃう。一応薬もらったから、それ飲んでみるかな。
◇
一曲一曲
清竜人25 「Mr. PLAY BOY...♡」
SMAP 「はじめての夏」
9/20 Summer was there
一か月近く空いてしまった。色々ありましたねえ。
9月の頭に帰省して、帰ってきてからはメガネを見に行ったり髪を切ったりNOPEを観たりした。あと料理を始めた。
16日に写真旅行に行った。人と写真を比べるのって新しい気付きがあってよかった。箱根きれいだったなあ。晴れてよかった。
17、18日は湯河原と熱海に旅行に行った。台風だったけど楽しかった。一緒にいてくれる人がいるとこんなに楽しいままでいられるのかと思った。
◇
秋が始まる。大学が始まる。バリバリ稼いでバリバリ遊ぶ人たちと自分は、やっぱりどこか違う人な気がする。そういう感情を建築の人には抱く。
今日の面談でやっぱり抑うつ気分が強いから薬を飲んだ方がいいかもと言われて、心療内科を予約した。しんどくない日々ってあり得るんですか?期待してもいいんですか?
うわー!こんな暗いことを書きたかったわけじゃないんだよ!明るく生きたい!
◇
一枚一曲
Kroi 「熱海」
8/27 ままならなさ
めちゃくちゃ日記をためてしまった。全部さかのぼって書くのは正直しんどいので大雑把にまとめて、あと最近考えてることなどを適当に書きます。
8/23
カメラを借りて有楽町でプラネタリウムの「Queen Heaven 」を観た。CGが2000年代のクオリティだった。ただ曲は素晴らしい。その後公園でおしゃべりした。好きなことしなよって言ってもらえて、これが愛かと思った。
8/24
一日だらだらしちゃったよ~
8/25
インターンの選考でGDとかやった。しんどかった。
8/26
建築系の就活セミナーとかいうのに出た。しんどかった。
その後友人とライアン・ガンダーの展覧会を見に行って、夜には「耳をすませば」を観た。すごく繊細で優しい映画で好きだった。
◇
8/27は久しぶりに本屋「title」に行った。ここは本の品ぞろえが素晴らしくて、こういう店にいると、繊細なまま生きている人がいるってことにすごく勇気づけられる。
テレビとかYouTubeとかSNSとか、全部すごく俗っぽくてしんどい。なんというか、真剣なものって伝わってくる気がしてて、そういうコンテンツには繊細さが表れてくると思う。
生活とか世界のままならなさについて、真剣に考えている人がいる。titleでは「水中の哲学者たち」という本を買った。
対話がしたい、真剣に考えたい。みんな真剣になることをどこかで求めてるはずなのに、それを冷笑するやつがいて、すごく悲しい。
ままならなさに寄り添ってあげたい。
◇
一冊一映画
永井玲衣 「水中の哲学者たち」
「耳をすませば」
8/22 積読消化と哲学対話の日
今日は一日コンテンツを消費していた。
最近podcastでD-Radioという番組を聞いている。永井玲衣さんのことを調べていたらこの番組にたどり着いたんだけど、結構面白い。
今日は#29#30を聞いていて、政治についてみんな政治家としての視点からしか考えていないみたいな話をしていて、すごく共感した。
自分はまさにこういう風な考え方をずっとしてきていて、いい加減直さないとと思い始めている。全部が自分事で他人事。もしその立場だったらという視点でしか考えられていなかった。でも実際の自分はここにしかいないわけで、そこから何ができるのかを考えないといけない。
何ができるんだろう。いまは建築と写真ぐらいしかやっていないけれど、そこからどう広げていくか、どうつなげていくか。そう考えるとお勉強も辛くない気がする。
なんとなく頑張るということが今までできてこなかったけれど、理解すればできるようになると期待している。
対話がしたい、長く付き合える友人が欲しい。line程度のコミュニケーションでも、上から5人ぐらいしかちゃんと返せないのなんとかしたいな。
◇
一番組一対話
D-Radio #29
哲学対話 「やる気と元気」