8/10 短歌という魔法
青松輝・初谷むいのトークイベント、「短歌という魔法」のアーカイブ配信を観た。短歌はそこまで詳しくないけど、この配信はすごく面白かった。
魔法みたいな短歌に、まだあんまりであったことはないけれど、ある詩ないしは文章によって世界が変わるみたいなことはわりと経験してきたと思う。
魔法のかけ方を考えた時に、歌人のお二人はやっぱり短歌制作におけるテクニックみたいなもののことを考えていた。人生を映すものとして書くとき。正直と嘘と冗談。色気があるかどうか。
分かんないけど、あらゆるものにおいて、重要なことって結構当たり前で聞いたことあるってことが多いと思う。なんだけど、それだけじゃやっぱり足りなくて伝わらない。一周回ってきたやつには伝わるけど、その一周回る契機をいかに作れるか。
魔法みたいな短歌ってそういうことなんじゃないかな。重要なことは通底してるんだけど、それを具体化したり知ってるものとからめて、読み手になじみやすくしてくれてるみたいな感じ。
短歌作ってるとき以外に生きてる意味ないっていう二人。それすごいよな。それだけ制作の瞬間が輝いてるんだろうな。
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一首一首
青松輝 「第三滑走路7号」
おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃって生きてたらはちゃめちゃに光ってる夏の海
初谷むい 「翼竜、きみのうつくしい退屈へ」
瞬きの間で恋をするような キーボード叩く音 恋をしていたような